親切って、なんでするんでしたっけ。の話

みなさんにとって親切ってなんですか?

 

あと親切って難しくないですか?

 

※ここでの”親切”は自分が他者の為に能動的に行動し、貢献することとします。

 なので「消しゴム貸してー」「いいよー」は受動的でありここでの親切には該当しないこととします。

 

相手を慮り、先回りをして、相手が喜ぶように何かしてあげるって難しい・・・。

親切した相手に無下にされたら腹立つし、そもそも気づかれなかったりしたら恥ずかしい・・・。

 

ハードル高いですよね。

特に見ず知らずの人に対しては。

電車でお年寄りに席譲るだけで心臓ばくばくする人も多いんじゃないでしょうか。

 

でも、本当に親切することってそんなにハードル高いんでしたっけ?

というか、そもそも親切ってなんでするんでしたっけ?

 

今回はこのテーマについて自分なりの考えを書いてみようと思っています。

 

 

結論から言うと、僕にとって親切することはそんなにハードル高くありません。

そして僕は親切を「カッコつけ」でしてます。

自分がカッコつける為です。自慰ですね。

 

キモいと思うでしょう、最低と思うでしょう。

でも、やらないよりは何倍もマシでしょう。

 

僕は、やらない自分よりやる自分の方が好きです。そっちの方がカッコいいから。

 

僕がこんな風に考えるようになったきっかけは、

2年前に大学を休学して行ったバックパッカー旅で一人のラオス人男性にしてもらった親切でした。

 

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当時アジアを中心に一人旅をしていた僕は、東南アジアのタイとベトナムに挟まれた国、ラオスを放浪中で、

その日は首都のビエンチャンから山奥の自然豊かなバンビエンへ移動する予定でした。

普段ならバスを予約していくところですが、突然バスではなくヒッチハイクで行きたいと思い立ちました。

そっちのほうが刺激的だし、ラオスの人と密なコミュニケーションがとれるだろうという安直な考えでした。

そうと決まればと、それぞれ英語とラオス語で「バンビエン」と書いたボードを掲げながら道路の傍に立って車が止まるのを待ちました。

しかし車通りは多いにも関わらず中々止まってくれません、

当たり前ですがバンビエンまでは3時間弱ほどかかる距離なのでいつもならうるさく声をかけてくるトゥクトゥクの親父も見て見ぬ振りでした。

それでも、陽が落ちるまでは立ち続けようと決めて立っていると40分ほどしてから車が止まり、中から綺麗な格好をした男性が降りてきました。

彼は流暢な英語で「残念だがラオスには君がしたいヒッチハイクの文化はない。それにここにはバンビエンへ行く車はほとんど通らないんだ。

こんなところへ立っていたら君は野宿することになる、バスステーションまで乗せていくからそこからバスで行くべきだ。」といいました。

僕はヒッチハイクがしたかったのでバスには乗りたくなかったのですが、とりあえず断るために「私は長期旅行者でお金がない」とだけ言いました。

実際にはバスに乗るお金くらいはあったのですが。

すると男性は少し考えて「わかった、じゃあ君のバス代は僕が出す。」と言いました。

「それはダメです。」と断ると彼は「じゃあとりあえず車に乗ってくれ。バス代はいくらかわからないが、君の気に入らない値段だったらまたこの場所に戻ってきて君を降ろそう。」と言いました。

彼は少し強引だったし、現地人らしからぬ綺麗な格好をしていたので私は騙されているのではないかと少し疑いましたが、結局車に乗せてもらうことになりました。

彼の名前はジョニーといい、車に同乗していた友達の女の子とどこかへ行く途中とのことでした。彼らは二人ともとてもスマートで英語が上手く、日本についての知識もある国際人でした。

「知らない国に1人で半年間旅をするなんて信じられないな!一人旅はなにが楽しいんだ?」と聞かれたので「こういう出会いです。」と答えると優しく笑ってくれました。

しばらくすると、バスターミナルらしき場所に着きました。

僕は彼らを疑ったことを申し訳なく思いましたが、ヒッチハイクは続けたかったのでそのことを伝えると

「お願いだからバスのインフォメーションまで一緒に行こう。そこで考える約束だ。」と言われたので仕方なく付いていくことにしました。

インフォメーションに着くとジョニーはラオス語でスタッフに話しました。

そして「こっちだ。」と僕を呼ぶとそこには恐らくバンビエン行きであろうバスがありました。

結局か…と思い財布からお金を出そうとすると、それより早くジョニーが運転手に紙幣を握らせました。

「ジョニー、ダメだよ。おれはバス代を払えるんだ。」と言うと彼はまた優しく笑い「もう払ってしまったよ。良い出会いをありがとう。」と言いました。

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だらだらと長文をすみません。(笑)

上の文は当時の僕の日記をほぼそのまま引用したものです。

 

この出来事は今でも心に深く残っています。

ものすごく感動したからというのもそうですが、ジョニーの行動がその時理解できなかったからです。

 

僕は自分でヒッチハイクを始めておきながら、

「なんで見ず知らずの外国人が道の端で

ヒッチハイクしているところに車を停めるんだろう。

 

しかも自分の目的地と違うからってバス代まで払ってくれるなんて!

親切すぎて意味がわからない!」

と感じていました。(笑)

 

バスの中で、ジョニーはなんで助けてくれたんだろうか、

この恩はどうやって返せばいいんだろうか、

ずっとジョニーのことを考えていました。

 

すると、自分の中で一つの仮説が浮かび上がってきました。

 

 

「ジョニー、カッコつけた説」

 

 

僕最低ですね。(笑)

考えてみれば振る舞いがいちいちキザだったし、

そもそもは女の子とデートをしていたわけで。(笑)

でも、そう考えるとなんだか可笑しくなってきて、

どうやって恩を返そう・・・なんてことはいつのまにか頭から消えていました。

 

自分で恩知らずだなあとも思いますが、

その時のジョニーには恩着せがましさは一切感じませんでした。

恐らく、というか確実にもう二度と会わないであろう

日本人の若者に恩を着せても仕方ないでしょうし・・・。

 

いつかもし、ジョニーに再会することがあれば

「あの時は本当にありがとう、この恩は一生忘れません。本当にありがとう」と

何度も頭をさげるよりも

「あの時のジョニーは最高にかっこよかったよ」

という方がジョニーも喜んでくれる気がします。

 

そんなことを当時考えていましたが、

僕にとってはジョニーが

あの時本当にカッコつけてたかどうかなんて正直どっちでもいいです。

ただあの時恩を着せるでも見返りを求めるでもなく

親切をしてくれたジョニーはめちゃめちゃカッコよかったです。

めっちゃカッコいいのに相手に恩着せがましく感じさせないなんてジョニー最強。

 

 

親切って、そんなものなのかもしれません。

あなたが電車でお年寄りに席を譲って、

「なんだこの偽善者」と思う人ももしかしたらいるかもしれません。

でもそんなのどうだっていいです。やってることはめっちゃかっこいいですよ?

 

お年寄りに、「結構です。」と断られても、

落ち込む必要はないです。自分がかっこいいと思ってやったんですから。(それが相手に迷惑になってたらダメですけど)

 

今回は、

1.本当に親切することってそんなにハードル高いんでしたっけ?

2.そもそも親切ってなんでするんでしたっけ?

というのがテーマでした。

 

僕の中の結論は、

1.ハードルを高くするかどうかは自分次第。周りにどう思われようが、

 自分がかっこいいと思ってやればハードルはものすごく下がります。

2.親切はカッコつけるためにやります。

ということになります。

 

日本は、「おもてなし」の国なんだそうです。

レストランやホテルでもチップ制度は無いし、

良いサービスをされることは当たり前と考えられている側面もあると思います。

相手に何かして差し上げる文化が、親切のハードルを高くしているのかもしれません。

 

もっと気軽にカッコつけましょう。

 

不毛地帯より