落語のすゝめ 〜音楽との3つの共通点〜

お久しぶりです。

 

最初に宣言したルールを一切守らず数ヶ月が経ちました。笑

不毛地帯が不毛のまま放置されていたわけですが、

ここらでもう一度水をあげてみようと思い立ちました次第です。

 

今後はとりあえず、各自が何か書くことを

思いついたタイミングで書いていければ良いと考えています。

ルール無しの無法地帯です、不毛で無法な地帯。笑

ゆる〜くやっていきたいと思います。

 

そんな中、復活の第一弾は

 

僕の趣味について。

主に落語鑑賞にフォーカスし、

その魅力を音楽に置き換えて伝えてみます!

 

【こんな人に読んでほしい】

◆何か趣味が欲しい!

◆落語って面白そうだけどとっつきにくい・・・

◆音楽が好きだけど、もっと趣味の幅を広げたい!

 

【落語と音楽の共通点とは?】

鑑賞者としての視点で考えると、

ざっと以下の3点であると考えます。

※本当はもっとあると思うので気付いた人は教えてください。

 

①ライブ感がすごい!

落語がライブ・・・?

確かに人前で話しているイメージはあるけど、ダンスや音楽とは違うだろ・・・

と、感じる方が多いかと思います。

 

でも実は、落語って音楽やダンスと同様に

「ナマモノ」なエンターテイメントなんです!

その理由は、落語家さんはその日のお客に合わせて

パフォーマンスをしているところにあります。

 

寄席などにいって気づくのは、お客が座る席が意外に明るいということ。

そうです。落語家さん達は話しながら、お客の様子を見ているのです。

 

< 噺の選び方にライブ感! >

落語には通常、本編に入る前にマクラと呼ばれる雑談のようなものがあります。

マクラで落語家さんは思い思いの話のするのですが、

その中でもお客の様子を見ながら、

「今の子供の話ウケたな、本編も子供の噺をしようか」

「今日はやけにカップルが多いな、男女の色恋噺にするか」など

その場で本編をどの噺にしようか考えることも多いそう。

音楽ライブやコンサートのセットリストにも似ていますが、

落語家さんはお客の様子を見ながら決めちゃうんです。すご!

 

< 「間」のライブ感! >

落語を観ている側として1番ライブ感を感じることができる点は、

落語家さんが作り出す「間」です。

要するに話し方のリズムみたいなところになってくるのですが、

これもお客の反応を見ながらその場で調整しているんだそうです。

音楽もジャズ生演奏などは同じようにお客の反応を見ながらの

アドリブに面白さがありますよね。

 

では落語家さんはどのようにしているのか、

昭和の爆笑王と呼ばれた桂枝雀さんという落語家さんが

提唱していた「緊張と緩和理論」にもあるように

笑いというものは緊張の後に緩和が来ることで起きるとされていますが、

落語家さん達はお客の息遣いを感じながら緊張を作り出すための

「盛り上げ」や「間」の程度を調整しているということなんです。

 

そしてあっさり緩和する。観ている側としては「してやられた!」と

気持ちよく思うほど落語家さんにコントロールされているのです。

 

②演者の個性が面白い!

2つ目は、演者の個性について。

落語の噺には、古典落語新作落語の2種類があります。

古典落語とは、江戸時代から受け継がれる、言わば名曲。

つまり古典落語を話す落語家さんは、カバー曲を歌っているようなものなのです。

カバー曲って、歌うアーティストによって全然歌い方違いますよね。

 

落語も同じで、落語家さんがそれぞれの個性を活かしたアレンジを加えているのです。

よって、同じ噺でも落語家さんによって笑える部分が全然違ったり

場合によってはサゲ(落語本編のオチのこと)さえ違ったりします。

 

「あの曲だったら徳永英明のカバーの方が好きだなあ」っていうのと同じように

落語家さんごとに違いやそれぞれの魅力を見つけるのは非常に面白いですよ!

 

③リズム感が気持ちいい!

3つ目に、個人的に魅力と感じているのがリズムです。

リズムなんて、音楽の魅力そのものでしょう!

 

リズムってすごいってことはおいおい別の記事でも書きたいなと考えていますが、

やはり落語でもリズムが重要だと思います。

①でも少し触れた「間」だったりもそうですし、

言葉の並べ方でもリズムは大きく変わります。

例で言うなら、三三七拍子や五七五七七などがあるかと思いますが、

リズムが気持ちいいかどうかで印象に残るかどうかが変わります。

有名な古典落語の「寿限無」などもリズムがふんだんに用いられています。

 

恐らくですが、落語家さんもこのリズムは

強く意識して噺を組み立てていると思います。

特に笑うようなところでなくても、

「あっ、今のリズムもう一回聞きたい」と思うようなところや

真似して口に出したくなるようなリズムがあると非常に印象に残ります。

 

江戸時代から変わらないリズムが現代の人々までも気持ちよくさせるんですから、

落語にも音楽同様に普遍的な魅力があるということでしょう。

 

江戸時代から現代まである部分は形を変えながら、

またある部分はそのまま変わらずに今も生きる落語というカルチャー。

確かに予備知識も必要ですし、わかりづらい言い回しもあります。

ただ、そんなことわからなくても楽しめる部分だってあるんだということを

少しでも感じていただけたなら嬉しいです。

 

今回の記事でちょっとでも「面白そう!」と思っていただけたなら、

先の3つの魅力を意識しながら、

是非「ライブ感覚」で寄席などに行って楽しんでいただきたいです。

 

不毛地帯より

 

お後がよろしいようで。

親切って、なんでするんでしたっけ。の話

みなさんにとって親切ってなんですか?

 

あと親切って難しくないですか?

 

※ここでの”親切”は自分が他者の為に能動的に行動し、貢献することとします。

 なので「消しゴム貸してー」「いいよー」は受動的でありここでの親切には該当しないこととします。

 

相手を慮り、先回りをして、相手が喜ぶように何かしてあげるって難しい・・・。

親切した相手に無下にされたら腹立つし、そもそも気づかれなかったりしたら恥ずかしい・・・。

 

ハードル高いですよね。

特に見ず知らずの人に対しては。

電車でお年寄りに席譲るだけで心臓ばくばくする人も多いんじゃないでしょうか。

 

でも、本当に親切することってそんなにハードル高いんでしたっけ?

というか、そもそも親切ってなんでするんでしたっけ?

 

今回はこのテーマについて自分なりの考えを書いてみようと思っています。

 

 

結論から言うと、僕にとって親切することはそんなにハードル高くありません。

そして僕は親切を「カッコつけ」でしてます。

自分がカッコつける為です。自慰ですね。

 

キモいと思うでしょう、最低と思うでしょう。

でも、やらないよりは何倍もマシでしょう。

 

僕は、やらない自分よりやる自分の方が好きです。そっちの方がカッコいいから。

 

僕がこんな風に考えるようになったきっかけは、

2年前に大学を休学して行ったバックパッカー旅で一人のラオス人男性にしてもらった親切でした。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

当時アジアを中心に一人旅をしていた僕は、東南アジアのタイとベトナムに挟まれた国、ラオスを放浪中で、

その日は首都のビエンチャンから山奥の自然豊かなバンビエンへ移動する予定でした。

普段ならバスを予約していくところですが、突然バスではなくヒッチハイクで行きたいと思い立ちました。

そっちのほうが刺激的だし、ラオスの人と密なコミュニケーションがとれるだろうという安直な考えでした。

そうと決まればと、それぞれ英語とラオス語で「バンビエン」と書いたボードを掲げながら道路の傍に立って車が止まるのを待ちました。

しかし車通りは多いにも関わらず中々止まってくれません、

当たり前ですがバンビエンまでは3時間弱ほどかかる距離なのでいつもならうるさく声をかけてくるトゥクトゥクの親父も見て見ぬ振りでした。

それでも、陽が落ちるまでは立ち続けようと決めて立っていると40分ほどしてから車が止まり、中から綺麗な格好をした男性が降りてきました。

彼は流暢な英語で「残念だがラオスには君がしたいヒッチハイクの文化はない。それにここにはバンビエンへ行く車はほとんど通らないんだ。

こんなところへ立っていたら君は野宿することになる、バスステーションまで乗せていくからそこからバスで行くべきだ。」といいました。

僕はヒッチハイクがしたかったのでバスには乗りたくなかったのですが、とりあえず断るために「私は長期旅行者でお金がない」とだけ言いました。

実際にはバスに乗るお金くらいはあったのですが。

すると男性は少し考えて「わかった、じゃあ君のバス代は僕が出す。」と言いました。

「それはダメです。」と断ると彼は「じゃあとりあえず車に乗ってくれ。バス代はいくらかわからないが、君の気に入らない値段だったらまたこの場所に戻ってきて君を降ろそう。」と言いました。

彼は少し強引だったし、現地人らしからぬ綺麗な格好をしていたので私は騙されているのではないかと少し疑いましたが、結局車に乗せてもらうことになりました。

彼の名前はジョニーといい、車に同乗していた友達の女の子とどこかへ行く途中とのことでした。彼らは二人ともとてもスマートで英語が上手く、日本についての知識もある国際人でした。

「知らない国に1人で半年間旅をするなんて信じられないな!一人旅はなにが楽しいんだ?」と聞かれたので「こういう出会いです。」と答えると優しく笑ってくれました。

しばらくすると、バスターミナルらしき場所に着きました。

僕は彼らを疑ったことを申し訳なく思いましたが、ヒッチハイクは続けたかったのでそのことを伝えると

「お願いだからバスのインフォメーションまで一緒に行こう。そこで考える約束だ。」と言われたので仕方なく付いていくことにしました。

インフォメーションに着くとジョニーはラオス語でスタッフに話しました。

そして「こっちだ。」と僕を呼ぶとそこには恐らくバンビエン行きであろうバスがありました。

結局か…と思い財布からお金を出そうとすると、それより早くジョニーが運転手に紙幣を握らせました。

「ジョニー、ダメだよ。おれはバス代を払えるんだ。」と言うと彼はまた優しく笑い「もう払ってしまったよ。良い出会いをありがとう。」と言いました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 

だらだらと長文をすみません。(笑)

上の文は当時の僕の日記をほぼそのまま引用したものです。

 

この出来事は今でも心に深く残っています。

ものすごく感動したからというのもそうですが、ジョニーの行動がその時理解できなかったからです。

 

僕は自分でヒッチハイクを始めておきながら、

「なんで見ず知らずの外国人が道の端で

ヒッチハイクしているところに車を停めるんだろう。

 

しかも自分の目的地と違うからってバス代まで払ってくれるなんて!

親切すぎて意味がわからない!」

と感じていました。(笑)

 

バスの中で、ジョニーはなんで助けてくれたんだろうか、

この恩はどうやって返せばいいんだろうか、

ずっとジョニーのことを考えていました。

 

すると、自分の中で一つの仮説が浮かび上がってきました。

 

 

「ジョニー、カッコつけた説」

 

 

僕最低ですね。(笑)

考えてみれば振る舞いがいちいちキザだったし、

そもそもは女の子とデートをしていたわけで。(笑)

でも、そう考えるとなんだか可笑しくなってきて、

どうやって恩を返そう・・・なんてことはいつのまにか頭から消えていました。

 

自分で恩知らずだなあとも思いますが、

その時のジョニーには恩着せがましさは一切感じませんでした。

恐らく、というか確実にもう二度と会わないであろう

日本人の若者に恩を着せても仕方ないでしょうし・・・。

 

いつかもし、ジョニーに再会することがあれば

「あの時は本当にありがとう、この恩は一生忘れません。本当にありがとう」と

何度も頭をさげるよりも

「あの時のジョニーは最高にかっこよかったよ」

という方がジョニーも喜んでくれる気がします。

 

そんなことを当時考えていましたが、

僕にとってはジョニーが

あの時本当にカッコつけてたかどうかなんて正直どっちでもいいです。

ただあの時恩を着せるでも見返りを求めるでもなく

親切をしてくれたジョニーはめちゃめちゃカッコよかったです。

めっちゃカッコいいのに相手に恩着せがましく感じさせないなんてジョニー最強。

 

 

親切って、そんなものなのかもしれません。

あなたが電車でお年寄りに席を譲って、

「なんだこの偽善者」と思う人ももしかしたらいるかもしれません。

でもそんなのどうだっていいです。やってることはめっちゃかっこいいですよ?

 

お年寄りに、「結構です。」と断られても、

落ち込む必要はないです。自分がかっこいいと思ってやったんですから。(それが相手に迷惑になってたらダメですけど)

 

今回は、

1.本当に親切することってそんなにハードル高いんでしたっけ?

2.そもそも親切ってなんでするんでしたっけ?

というのがテーマでした。

 

僕の中の結論は、

1.ハードルを高くするかどうかは自分次第。周りにどう思われようが、

 自分がかっこいいと思ってやればハードルはものすごく下がります。

2.親切はカッコつけるためにやります。

ということになります。

 

日本は、「おもてなし」の国なんだそうです。

レストランやホテルでもチップ制度は無いし、

良いサービスをされることは当たり前と考えられている側面もあると思います。

相手に何かして差し上げる文化が、親切のハードルを高くしているのかもしれません。

 

もっと気軽にカッコつけましょう。

 

不毛地帯より

 

コミュ力があるって何があるのだろう。

最初の投稿をしたヤツのどうしようもない虫ケラ先輩のMです。

 

僕はブログの目的とかどうでもいいので、

日々感じている赤裸々な感情をぶつける場としてこのブログを利用したいと思います。

 

嫌なヤツでごめんなさい。根はいいヤツってよく言われます。

 

では早速タイトルの件について色々言わせてもらいます。

 

営業をやっていると、結果の出る人そうでない人を比較するときに必ずと言ってもいいほど出てくる言葉が「コミュ力」。

 

この言葉には何度も苦しめられた。
だって何をどうすればいいのかわかんないんだもん。


何が引っかかっていたのかというと、
コミュ力は「天性のもの」という位置付けで
使われることがあまりにも多いからだ。

 

新人の頃、周りよりも立ち上がりが遅くて
「M君、コミュ力ないもんねーww」って
色んな先輩から言われてくそーって思ったけどどうすればいいのか、何から始めればいいのか全然分からなかった。

 

その原因がまさに「コミュ力は天性のもの」という使われ方(受け取り方も悪いのは認めます笑)のせいだった。


だってコミュ力は天性のものなんて言ってしまったら、それが低い人は一生コミュ力低いってことになる。それってマネジメント放棄じゃない?(極度な受け身笑)

 

だから一生懸命調べました。
どこかのブログかなにかに「コミュ力とは相手の気持ちを考えて行動できる力」とあった。
漠然としてる。そもそもどうやって測るんだ。

色々試行錯誤してわかったのは、
「相手の気持ちを考える前に、
相手により詳しくなることがまず大切」ということ。

相手のことよく知らないのに気持ちを理解するなんて不可能だし。

これは苦手な人事と好きな人事の差は何か考えていた時に着地した結論。

 

じゃあ相手を知るためにはどうすればいいのか。
「相手に質問をたくさんして、相手の情報を仕入れる。」これに尽きる。

僕はこれを今も意識して仕事をしている。

急に質問責めになると引かれるかと思ったけど案外そんなことはなかった。

会話って、細分化するとほとんどが質問から始まってることが多いし、
自分に対して興味を持ってもらって嬉しくない人なんてほとんどいないから。

ビジネスマンに必要な要素でよく他人への興味が挙げられるのはこういうことかななんて思います。

 

「コミュ力があるって何があるのだろう。」の問いに対する僕の答えは、「他者への興味がある」です。

 

ハジメマシテ。

ハジメマシテ。

 

東京都在住、某人材系企業で働くサラリーマンです。

 

この度、尊敬する会社の先輩 2人と一緒にブログを始めました。

 

目的は、大きく2つ。シンプルで自分本位な目的です。

1.発信力向上のため。(オモシロイ人になるため。)

 アウトプットする先(ブログ)を決めてしまうことで、発信力向上の機会を

 強制的に作ることにしました。

 日々起こったことや感じたこと、考えたことを取りこぼさないようアウトプットし、

 そこからそれを

 より分かりやすく伝えるにはどうしたらいいだろう。

 より面白く伝えるにはどうしたらいいだろう。

 って考えていく過程で発信力がつくんじゃないかと考えました。

 

 なんで発信力つけたいのかというと、オモシロイ人になりたいからです。

 オモシロイ人って、日々の出来事を伝えるのが上手(=発信力が高い)なんだと思い

 ます。

 オモシロイ人と普通の人が同じ体験してもオモシロイ人が話した方が

 オモシロイのってよく考えたら不思議ですよね。

 きっとオモシロイ人は体験した時点で、誰かに発信することを意識しているのだと

 思います。常にアウトプットを意識してるが故にインプットから違う。

 

 あ、これこんな感じの順番で伝えた方がわかりやすいな

 あ、これは何か特徴が似ているものに例えた方が聞いてる人は面白いな、とか

 

 そういう人は一緒にいて楽しいし、何か一緒にやりたいとか思いますよね。

 そういう人になりたいので、まずはオモシロイブログを書いていければなと考えてい

 ます。

 

2.意見、価値観を交えるため。

 個人的には、このブログは発信したら終わりじゃなくて読んでくれる人からの

 意見の跳ね返りもあってほしいなと思っています。

 それによって気付きもあるでしょうし、考え直す機会もできるでしょうし。

 自分たちもそうですが、読んでくれる人にも何か気付いてもらえたりしたら

 嬉しいなと思います。

 ただの日記にならないよう、意見を持った発信を心がけていきます。

 

以上が簡単な目的です。

書いていても自分本位っぷりがすごいですが、ブログってそういうものですよね!w

あとはそれがちゃんと読んでくださる誰かのためになるよう、

しっかりあれこれ考えて書いていきます。

 

このブログのルールは1つだけです。

3人で各週ローテーションして、週に最低1記事書くこと。

テーマは自由で、コンセプトも特にありません。

もはやこの記事の雰囲気もさっき読んだ別の人のブログに影響受けてますw

ゆるりと、継続することをひとまず目標にして記事を書いていこうと考えています。

 

それではよろしくお願いいたします。

不毛地帯からハジメマス。